2007年02月26日
馬の「自国ブランド」か
週末畜産ZOO鑑の馬のところをじっくりと見ていたんだが、その中に馬に関して「自国ブランド」という表現があった。
別に社台とかサラの生産牧場のことではなく、セル・フランセとかクォーターとかの品種のことで、そのまま引用すると、
国際的に改良の原原種として認められているサラブレッドとアラブだけではなく、多くの国が各国のブランドとして誇れる品種を作っています。たとえばセル・フランセ(フランス原産)、クォーターホース(アメリカ原産)、ベルジアン(ベルギー原産)、シャイヤー(イギリス原産)などの有名品種は、生産国が世界に誇る自国のブランドです。
現在、世界的にみれば馬産は競争馬(サラ・アラブ)が約10%で、その他が90%に対して日本のそれは80%が競争馬だそうだ。
明治以降、世界と接して初めて「兵器」として改良の必要性を感じた日本だし、サラの血統に関しても、欧州では自国の血統を守り続けようとするところがあるが日本は希薄だ。
もしかしたら釧路種は「日本ブランドの馬」になっていたのかもしれないな。
馬については元々の素地が違うから欧米と比べても仕方ないけど、文化とかそう言うレベルよりもやはり経済なのかな。なんか寂しいね。
在来種もそのうち消えてしまうのではないだろうか。
投稿者 zeami : 20:01 | コメント (0) | トラックバック
2006年11月06日
ユルリ島の馬って
「テレビで放送されたことがあるよ」と言われけど、永年北海道に居ながら、おまけに道東に住んだことがありながら島の名さえも知らなかったし、そこに野生化した馬がいることなどまったく知らなかった。
野生の馬と言えばトカラ馬など、北海道と言えばドサンコを思うのだが、野生ではないが野生化した馬がこんな小さな島にいるとはね。
4日土曜日の道新朝刊の一面に掲載された記事だが、個人的には衝撃的だった。
ユルリ島、野生馬受難 4頭を間引き[北海道新聞]
ユルリ島、野生馬受難 4頭を間引き[北海道新聞-動画ニュース]
コンブ運搬に使われていた馬、存廃が話題になっている「ばんえい競馬」のばん馬と同じ重種で、木材の運搬や農耕馬としても使われていた馬と同じだろう。
野生化した彼らはどうやって生きてきたのだろう?馬は寒さには強いと言われるが海風が吹くあの土地でどうやって生きてきたのだろう。こういった馬は、サラブレットとは違う次元で興味がある。
色々探してみると写真や書物など色々とあるようだから、読んでみるか。できればその場に行ってみたい。
近親交配を避けるための間引き、管理する側が高齢化している中で、このような間引きが出来なくなれば血の濃い馬で溢れる。そして血の濃さは色々の弊害を及ぼすだろうから、時が経てば「死滅」が訪れるだろう。元々は管理されていた馬だが今は野生、そんな環境の中で生きている馬も、馬としての貴重な資料なわけで、これから先も管理され続けるのだろうか。
動画を見ると、馬がクレーンで吊るされるシーンがある。戦場となった大陸や南方に向かう船に乗せるために吊るされている馬の写真と重なって、なんとも言えない気分になった。
ましてや間引きされた4頭のその後なんて考えたくもないな。
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多分記事は時間の経過とともに消えるだろうから、ココにそのまま
北海道新聞 2006/11/4
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ユルリ島、野生馬受難 4頭を間引き 【写真】

【根室】根室市昆布盛沖の無人島・ユルリ島で三日、野生化した馬を間引きする年に一回の作業が行われた。周囲約八キロの小島を舞台に、漁業者ら二十人が逃げる馬を一日がかりで追い詰め、船で運び出した。
同島には戦後コンブの運搬に使われ、その後、野生化した馬十八頭が生息している。間引きは近親交配を防ぐため毎年行われているが、馬の所有者の根室市の漁業者らが高齢化し、管理も難しくなったため、今回は繁殖馬を含め四頭が対象となった。
午前六時半に船で上陸した二十人が「ハイー、ハイ」と竹の棒を振りかざして、馬の群れを追い、四頭の馬を捕まえた。
島には船の接岸するための設備がないため、捕まえた馬は小舟にロープで結んで、泳がせながら百メートル沖合に停泊している漁船へ。漁船にはクレーンでつり上げて乗せ、夕刻に昆布盛漁港に運んだ。
間引きされた馬には受難の日だったが、島に残った十四頭にも、これから風雪に耐えなければならない厳しい冬が待っている。
<写真:小舟につながれ、海の中で抵抗するユルリ島の野生馬(岩井直樹撮影)>
投稿者 zeami : 20:43 | コメント (4) | トラックバック
2006年06月14日
トロッター繋駕
二輪馬車、浜風切って トロッター繋駕[北海道新聞]
(リンク先の記事は時が過ぎるとなくなっているかもしれない。)
何年か前にNHKのローカルでこのトロッター繋駕の特番をやっていたのを思い出した。
浜中町の人達だからその番組にも出ていただろう。
結構年配の方々が楽しそうに、おもしろそうに乗っていた。レースになれば他の競技と同様に熱くもなっていた。
国策の軍馬育成の中で、軍馬に適したトロッター種も輸入され、道東にも軍馬補充部があった。こう言うことから道東の地にこれが残っているのかな。
その軍馬育成の過程で、大正7年(1918年)にはトロッターやアングロノルマンによる速歩競争が始まっている。
距離にして2マイル(3200m)以上だったそうだ。
北海道の馬文化展でも草競馬のコーナーがあったが、このトロッター繋駕はなかったな。これも馬文化だろう。
余談ながら、
吉田善哉の父善助が馬産を始めた頃にトロッター種を輸入している。
そして地方競馬で行われてノルマン種の繋駕レースにトロッター種を出したところ、ことごとくノルマン種を負かしたそうだ。
官営牧場はノルマン種を生産していた関係から「トロッター種はレース参加できない」というような規約を作ったそうだ。トロッター種を禁止された民営牧場はノルマン種を生産しなければならなくなる。その間に官はトロッター種の買い入れをしたそうだ。
投稿者 zeami : 21:38 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月06日
九州牧場地図
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牧場のマップって北海道版しかないものだと思っていたが、九州版もあったのか。
東北版もあるのかな?
鹿児島にJBBA九州種馬場が、宮崎にJRAの育成牧場があって、セリ市場もあったり、九州産馬限定レースもあるのを知っていたが、この地図に書かれているだけの牧場があるとは思いもしなかった。
マークオブディスティンションをふと思い出した。
馬産の中心は鹿児島・宮崎・熊本の3県が主だった所のようだが、もともと農耕馬などの馬産が行われたところに、軍馬育成という国策の中で宮崎・鹿児島に軍馬補充部ができたことからの流れなんだろうな。
もっともそれ以前、古代の「日向の駒」が起源らしいけど。
サラブレッドだけではなく和種の御崎馬やトカラ馬、与那国島にいる与那国馬なども見てみたいくなるな。
投稿者 zeami : 17:43 | コメント (0) | トラックバック
2006年02月15日
◎○▲のルーツらしきもの
先月だったかな? いなかの猫さんが競馬の勉強ということで新聞の印か何かを書いていたことがあったような。。。
そんなことを思い出したもので、何故◎○▲になったのかと調べてみた。
大正時代に馬券発売が復活した時に、当時の関東の新聞には本命・対抗・単穴がそのまま言葉として使われていたらしい。
その後、出馬表がレース前日に発表されるようになり、競馬雑誌社がその出馬表をガリ版印刷して販売するようになったそうで、その時突然と説明書もなく、馬番の横に◎○▲△が出てきたらしい。
ただし、出馬表を販売する社によって○が本命とするところもあったそうだ。
この時代の小学校の通知表は5・4・3とかの表現ではなく甲・乙・丙で、甲が◎、乙が○、丙が△だったそうで、どうやらこの辺にあると言うことらしい。
このルールからすると×って言うのはいつから出てきたのだろう。
もし当時からあったなら「駄目」な馬を意味していたのだろうか。
投稿者 zeami : 22:10 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月18日
舞踏家に綴られた血統
今月3日に種牡馬ダンチヒが亡くなったが、たまたま読んでいた雑学本で見つけた受け売り話で、ノーザンダンサー系の種牡馬には父のイメージを踏襲して舞踏家やバレエ史に綴られた種牡馬が多くいると言うことだ。知ってる人は知っているのだろうけど。。。
ノーザンダンサーは文字通り、「北の舞踏家」だが、
その産駒ニジンスキーはバレエ界のスター、ヴァスラフ・ニジンスキーから連想して付けられたもの。
マイル王リファールは、ニジンスキーのあとにロシアバレエ団に招かれたセルジュ・リファールから。
快速馬ヌレエフは、セルジュ・リファールを継承したルドルフ・ヌレエフから。
先日亡くなったダンチヒは有名な振り付け家ヴァン・ダンツィヒからと言う。
ダンチヒには不出走だった姉馬にデイムマーゴという馬がいたそうだ。このデイムマーゴはセルジュ・リファールとペアを組んだプリマ、マーゴ・フォンテンかららしい。
そしてプリマのマーゴ・ファンテンが活躍していたバレエ団が英国ロイヤルバレエ団の前身であるサドラーズウェルズバレエ団、サドラーズウェルズはこれが由来だそうだ。
サドラーズウェルズ産駒のオペラハウスもこの流れを汲んでつけられたのだろうな。
この話は欧米だけの話かと思えば、このバレエ史に綴られた馬は日本にもいた。
ルドルフ・ヌレエフに続いて亡命したミハエル・バシリニコフに由来する馬だ。
1970年生まれのノーザンダンサー産駒にOdoriko(オドリコ)と言う牝馬がいた。
この馬は1976年に輸入され、1979年にファバージとの間に牡駒が生まれ、この馬にバリシニコフと言う名がつけられた。3勝くらいした後、種牡馬にはなったがすぐに引退している。その血は今はどうなっているかは知らないが、消えているだろう。
ちなみに1977年の朝日杯を勝ったギャラントダンサーの母はOdorikoだ。
それにしれも舞踏家から連想して付けられた馬名を持つ馬がこうも優秀な種牡馬になったと言うのも不思議だし、面白いな。ロマンもある。
そういう中にあって社台ファームにはバレエ史まではいかないまでもそれなりに流れを継いでいるところがあるのかな。
ギャラントダンサーは外国産馬だったが馬主は吉田照哉氏だったし、バシリニコフは社台ファームの生産馬だった。そして社台ファームの馬にダンスとかダンサーと名がつく馬がいることがそれだと思う。
こういうところにも違いがあるようだ。
投稿者 zeami : 20:16 | コメント (4) | トラックバック
2005年12月30日
ひめ始め・・・飛馬始め
たぶんコレが今年の最後のエントリー
年越しを迎えて何で熱なんで出てくるのだろう?
横臥しながら雑学本を読んでいると色々と発見するものだ。
「ひめ始め」って「姫始め」あるいは「秘め始め」と書かれ、すぐに年が明けて初めて男と女がするアレと思ってしまうが、「飛馬始め」と書くのもあるそうだ。
その意味するところは、年明けに最初に馬に乗る日らしい。
乗馬をされている方ならご存知かもしれない。
ちなみにJRAの調教開始日は1月2日らしいが、これが飛馬始めと関係あるのだろうか?
浦河町で行なわれる騎馬参拝も1月2日、まさに飛馬始めだ。
投稿者 zeami : 18:57 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月25日
エンペラーズカップか・・・
今年の天皇賞・秋は、「エンペラーズカップ100周年記念」とか。
1年前、「競馬ニュース的ブログ」に「天皇と競馬」と書いたものにちょっと加えてココでまた載せておきます。
天皇賞、
最も長い歴史を持つレースで、原点は明治13年(1880年)に横浜の根岸競馬で行なわれた"MIKADO'S VASE RACE"と言うレースだそうで、公式的なレースとしては明治38年(1905年)のエンペラーズカップに遡るそうだ。
当時7つの競馬倶楽部で「帝室御賞典競走」というのが行なわれいて、昭和12年に日本競馬会が発足されたのを契機に春は阪神、秋は東京で「帝室御賞典競争」として年2回行なわれるようになり、天皇賞の名称は昭和22年秋から使用されるようになったそうだ。
天皇賞は春秋ともに3200mで行なわれてきたが、1984年から秋は2000mとなった。さらに1987年からは3歳馬にも 出走資格が与えられるようになり、2000年から条件付で外国産馬が2頭まで出走可能となった。
そして天皇と競馬は、
日本における馬産は兵器たる馬を作ることが背景にあって、明治天皇の勅諚で馬匹改良が始まり、競馬はサラブレットとアラブの能力検定の場としての設けられた。そこに天皇や皇族が来られて発展してきた歴史がある。
天皇賞という名は戦後だが、その起源となる「帝室御賞典競走」は馬産と言う国策の象徴レースだった。
また明治天皇は競馬が好きだったようで、先述した勅諚は「馬匹を改良するには競馬こそ適当なものなれ」と言ったことが発端だそうだ。
ちなみに明治天皇が気に入っていた馬は金華山号という栗毛の和種、昭和天皇が乗用した馬の中で一番多かったのは「白雪」という芦毛のアラブ種だったそうだ。
こうやってみると天皇(皇族)と馬は切っても切れないもので、賭博的イメージが強い競馬の印象をさらに変えるためにもさらに多くの機会に見ていただきたいものだが、どうも馬券の売り上げに躍起な今の競馬ではどうかな。
ここ数年の天皇賞・秋、
3歳馬が初めて勝ち、横典が境勝太郎にどなられた96年
2000mとなって初めて牝馬が勝った97年
悲劇が起き、7歳(当時の馬齢表記8歳)の高齢馬が初めて勝った98年
惨敗の前走から一転、やはり「強かった」馬が勝った99年
「1番人気は勝てない」の呪いが解かれた00年
○外に門戸開放後、外国産馬が初めて勝った01年
3歳の外国産馬が古馬を蹴散らした02年
勝ち抜き制度がなくなってから初めて連覇が達成された03年
2000mとなってから初めて騎手としての連覇となった04年
さて今年はどんなドラマが...
投稿者 zeami : 20:01 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月24日
無事是名馬って・・・
昨日ハートランドヒリュがオートダービーの記録に並ぶ122戦目を無事ゴールしたのだが、これを形容する言葉と言えば無事是名馬となるのだろう。
その無事是名馬って、つい最近まで中国から来た名言と思っていたが、実は、競馬ファンだった小説家菊池地寛の造語なんだそうだ。いや~知らなかった。
競馬ファンだった菊池地寛がある時、色紙に「何か書いてくれ」と言われ、なかなか考えがまとまらずに居た時に、中国の故事「無事是貴人」と言う言葉を思い出して、これをもじって書いたのが始まりだそうだ。
もし、菊地寛が競馬好きではなかったらこの言葉は生れなかったのかな。
※無事是貴人とは
「何事も無いのが最上の人生」とか。
禅では「みんなのしあわせのために、人の身になって尽くせる人」らしい。
